スタッフ紹介
スタッフ紹介 目次
副院長 歯科医師 八木
こんにちは。
オーバルコート歯科室で副院長をしております八木と申します。
オーバルコート歯科室を選んでくださった患者様に感謝の気持ちを忘れず、多くの患者様が満足し、笑顔で帰っていただくことを心掛け診療しております。
自分のお口に不安がある方、歯科医院に通いたい気持ちはあるものの、今ひとつ足が遠のいている方、ぜひ悩みや不安をぶつけてください。
大崎オーバルコート歯科・矯正歯科室を選んでよかったと思えるよう、尽力いたします。
また、患者様に安心かつ安全で適切な治療ができるよう日々最新の治療に対して、知識と技術の向上を目指してまいります。 その上で患者さまの価値観や意志を尊重したうえで納得のいく治療を提供いたします。
幼少期~青年期
私は山口県宇部市で八木家の長男として生まれ、育ちました。
長男といっても、三つ子であったため、時間としては他の2人と2分程しか違わず、長男としての自覚はあまりなかったように思います。
幼稚園、小学校、中学校、高校と3人とも同じ学校に通っていたため、比較される事が多く、当時は非常に大変だったことも多々ありましたが、今改めて考えるとお互いに切磋琢磨し、良い刺激を毎日受けることができたため、とても恵まれた環境だったと思います。
今では歯科医師として働かせていただいていますが、幼少の頃から歯に対しての意識が非常に低く、歯科医院にはとてもお世話になりました。
恥ずかしながら、高校を卒業するまでに、う蝕の処置を複数回受け、また大学時代には親知らずの抜歯も行い、一通りの歯科治療を自分自身でたくさん受けてきました。
そのため、歯科治療に対する痛みや恐怖は人一倍理解していると自負しております。
私は小学生や中学生の時に、学級委員長や学年代表など様々な事をやらせていただきました。しかしながら、自分自身が立候補していろいろやったというよりもむしろ、優秀な弟と同じ家族ということで先生に選ばれました。
人前に出ることが苦手で、人前で話す時は極度の緊張から寝られないこともたくさんありました。しかしながら、今となっては貴重な経験であり、たくさんの機会を与えてくださった先生方にはとても感謝しています。
高校~予備校時代
高校生では、将来についてしっかりと考えなければならない時期になり、医学の道に進みたいと考えるようになりました。
理由は三つ子で医師に昔からお世話になっていたことと、当時「救命病棟24時」というドラマが放送されており、それに憧れたからです。
とはいえ、勉強はあまり出来る方ではなかったため、案の定大学受験は失敗し、予備校に通うこととなりました。
予備校では、ゴールデンウィーク、年末年始に関わらず授業や試験が行われていたため、今までの自分の甘さを痛感し、価値観が大きく変わりました。
当時は非常に辛い毎日でしたが、今ではなくてはならない経験だったと思います。また、特に長所のなかった自分に、努力することに関しては誰にも負けないし、負けたくないという気持ちと、様々なことに興味を持つという2つの大切なことを身につけられたと思います。
浪人後の大学受験では、数点足りず医学部に入ることは叶いませんでしたが、広島大学歯学部に入学することとなりました。
大学時代
私自身、昔からあまり好きではなかった歯科の道に進むことは自分自身でも驚きであり、当時なかなか実感がわかなかった記憶があります。
大学に入学し、歯科について勉強すればするほど、自分の口の中があまりに危険であることを痛感し、日々暗い気持ちになりながら授業を受講していました。
しかし、これではいけないと思い、新幹線に乗りほぼ毎週のように隣町の有名な歯科医院の元へ行き、治療をしてもらいました。
今思うと、奨学金暮らしのお金のない生活の中でよくこんな行動をしたなと思います。
また、大学では様々なアルバイトをしておりましたが、中でも一番印象的なのが、今でも度々お世話になっている、すき焼きやしゃぶしゃぶのお店です。
アルバイトでは正しい接客や様々な知識をお店のスタッフやお客様からたくさん学ばせてもらいました。また貧乏学生の私にとって、仕事終わりのまかないはとてもうれしく贅沢なものでした。
今でも広島に帰ると初心を忘れないように必ず行かせてもらっています。
研修医時代
卒業後は都心でまずは、1人の歯科医師としてではなく、1人の医療従事者として日本最高峰の方々と仕事を通じて、たくさんのものを吸収したいという気持ちから、国立国際医療研究センターで研修を行いました。
入職直前にコロナウイルスが流行し、連日テレビで病院が取り上げられるのをみると、日々身の引き締まる思いで、入社式を迎えました。また、歯科医師の同期は2人しかいませんでしたが、医師の同期はたくさんおり、医学的な知識や物事のとらえ方や考え方など様々なことを日々学ぶことができ、よい刺激をたくさん受けることが出来ました。
また、研修は国立国際医療研究センターの特色である麻酔科、救急科での実習があり、全身疾患に関して身をもって学ばせていただきました。そして研修医にも関わらず、他分野の様々な企業の方々と一緒に、製品開発や、研究を行えたことはかけがえのない経験になりました。
今後は1人1人の患者様と歯科医療を通じてたくさんの笑顔を届けたいという思いから大崎オーバルコート歯科・矯正歯科室に入職することとなりました。
略歴
広島大学 歯学部卒業
国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院 研修終了
大崎オーバルコート歯科・矯正歯科室 勤務開始
所属
日本歯周病学会会員
日本口腔インプラント学会会員
日本小児口腔発達学会会員
日本顕微鏡歯科学会会員
IIRD(インプラント再建歯学研究会)会員
歯科医師 江夏
こんにちは。オーバルコート歯科室で勤務医をしております江夏と申します。
院長の「気持ちに寄り添う診療を」に共感して入社いたしました。「こんにちは」「お口の中の調子はいかがですか」など笑顔で挨拶することにより、患者さんにリラックスしていただくことを心掛けたいと思います。
わたしは三姉妹の次女として育ちました。生まれた順番も子どもの性格に影響するようで、中間子は両親や姉妹の様子を見ながら、自分がすべき行動を瞬時に考えることができるとのことです。
相手が喜ぶ言葉を掛けたり、言わない方がよい言葉を慎んだりするコミュニケーション方法を、無意識に学んでいるそうです。その特性を生かして、患者さんと上手にコミュニケーションを取りたいと思います。
私は幼稚園から小学校低学年まで器械体操を習い、自分の背丈の倍もある飛び箱を飛んでいたそうで、大会にも出場しました。幼い自分の世界がそこにあり、姉や妹に比べて父にかまってもらった印象はあまりありません。
小学4年生から中学校受験のため塾に通うことになり、体操を諦めました。
ところが、第一志望の受験日にウィルス性胃腸炎を発症し、しばらく体調が戻らず、希望とは違う中学校に進学することになってしまいました。
夜遅くまで塾に通い、休日も定期試験のため遊びに行けず、頑張った3年間は何だったのか、悔しい気持ちでいっぱいでした。
中学校受験のときも国語と社会が足を引っ張っていましたが、中学校、高校になってもそれは変わらず、高校2年生の進路別クラスは理数系に進みました。漠然とした将来でしたが、「せっかく理数系に進むなら、歯医者になれば」という父の一言で、歯学部を目指すことになりました。
父は地域に密着する歯科医師で、患者さんひとりひとりと向き合い、丁寧な仕事をしています。
父の尊敬する点は、カルテを確認しなくても、その患者さんの顔を見ただけで、名前、処置、趣味まで分かるということです。
それだけ真摯に患者さんに接し、患者さんの心を汲み取ろうと努力しているからだと思います。わたしも父のような歯科医師になりたいと思います。
東日本大震災の際、警察協力医の父のところにも身元不明のご遺体の確認の依頼がきました。
父は現地に赴くことはなかったのですが、行かれた先生からの貴重なお話を伺うことができました。
中でもご遺体の口の中を調べようとすると大量の砂があり、一刻も早く身元を判明してご家族の元に帰してあげたいというという気持ちで、口の中を洗浄する現地の消防団の方々のご活躍に頭が下がるという話には感動しました。
わたしも困っている方に積極的に手をのばす医療人になりたいです。
東京歯科大学ではコロナ禍のため机上の学びが多かったので、オーバルコート歯科室で実践的な勉強をさせていただき、一日も早く一人前の歯科医師となれるよう努めます。どうぞよろしくお願いいたします。
略歴
東京歯科大学 卒業
東京歯科大学水道橋病院 臨床研修医修了
歯科医師 藤井
幼少期
私は関西の地で2人姉妹の末っ子として育ちました。
末っ子は甘え上手と言われるせいか、私自身、両親や祖母に懐き、祖母の友人や近所のおじさんなど幅広い年齢層の方と接する機会が多く、子供ながらに、人生のノウハウなど今となっては貴重な経験を得ることが多い日々を過ごしました。
このような背景があり、私は人の話を聞いて学ぶ事を好むようになりました。
高校時代
祖父の代より薬局を経営しており、両親は勿論、姉も含め親族皆薬剤師だった為、私も薬剤師になるのだろうな。と何の疑問も持つことなく、気付けば高校三年生の春になっていました。
両親の働く姿を間近で見て、格好良いなと感じていたものの、忙しさのあまり、歯に対する意識が薄く、歯に関する悩みを多く持っているものの、「薬局の営業時間と歯科医院の開院時間が同じため通えない。」という悩みを身近で聞き、どうにかして助けてあげたい。という気持ちが芽生え始めました。
私はこのまま薬剤師になっていいのか?歯科医師になるべきでは?という人生の分岐点を迎えることになりました。
志望校としては、ほとんどは薬学部を受験したものの、頭の片隅で歯学部に受かったら優先して行こう。という気持ちで受験に挑みました。
奇跡的にも、両親を救いたい気持ちが幸いし、歯学部に入学することが出来ました。
大学時代
薬学部に通う予定だった私が、両親に無理を言って歯学部に通わせて貰っていた為、絶対に知識を取りこぼしてはいけない!という心構えで大学の授業を聴講しておりました。
しかし、人生はそう甘くなく、教科書や授業だけでは分からない講義や内容もあり、泣きながら勉強する日もありました。分からないという壁にぶつかった時、放置せず解決しなければ成長しないのでは。と考え、人の話を聞いて学ぶ事が好きな私は、夏休みや放課後を利用して、分からない科目の教授に質問に通うという手段を取りました。
功を奏して、再試験に1度も引っかかる事なく、国家試験もストレートで合格することが出来ました。
私のために時間を割いてくださった、各講座の教授及び先生方この場を借りて感謝申し上げます。
研修医〜現在
学生時代、一通りの科目を学びましたが、中でも一番難しくて学びきれなかったのが障がい者歯科でした。
分からないままにするのが嫌いな私は、研修医時代に障がい者歯科を選択しました。研修期間も勿論学ぶことが多かったですが、やはり、学びきれず、現在は大学院に進み、障がい者歯科を専攻し、より一層の知識を深めているところです。
患者様のご家族が苦労している事や、家庭環境、生活背景など、歯科以外の観点からも考えさせられるものが多いなと感じ、皆様から学ばせていただく日々です。
オーバルコート歯科室では、歯科医師として口腔内だけでなく、日常生活の悩みなども一緒に、心の負担が軽くなる方法を考えさせていただければと思います。
まだまだ至らぬ点はございますが、皆様の助けになりたい。という熱意を持って頑張っていきますので、よろしくお願いいたします。