大崎オーバルコート歯科室スタッフ紹介 STAFF

歯科医師 歯科医師


近藤

ご挨拶

近藤

こんにちは。
オーバルコート歯科室で勤務医をしている近藤と申します。

歯や口腔内のお悩みは十人十色で、一筋縄に行くものはございません。ただ漫然と流れ作業で、痛みを取るだけ、ダメな部分だけとりあえず治す、のようなその場しのぎの処置ではなく、その後も長く健康な口腔環境を維持していただける、お一人ごとのニーズに沿った治療をすることを心がけております。

どうぞよろしくお願いいたします。


幼少期~青年期

私は東京都小平市で、歯科医師の父と薬剤師の母の間に近藤家の長男として生まれました。

すぐに同じく多摩地区の国立市に引っ越したので、正直、出生地のことはあまり覚えていないのですが、色々な物事に興味が尽きず、幼いながらに遊びや食事などにもこだわりが強かったそうです。親戚や親によると、この頃から手先が器用で工作をいろいろしていたり、おもちゃの電池交換も自力でこなしたり、当時のビデオデッキを使いこなしたりしていたそうです。程なくして3歳離れた妹が生まれ、活発に刺激し合いながら育ちました。 兄妹喧嘩をよくしていたことは覚えています。

小学生の頃は、あまり手広い友人付き合いはせず、チームスポーツや共同作業は大の不得意でしたが、好奇心旺盛で自分の興味がある人や物事にのめり込む傾向が強かったと思います。

父がアウトドア派だったこともあり、よく、近隣の奥多摩や秩父・丹沢、それだけに留まらず、日本アルプス呼ばれる山々までにハイキングに連れて行ってもらっていました。大自然に触れる中で、自分なりの感性ができたと感じています。

中学・高校は一貫の私立男子校に進みました。そこは地元では進学校でしたが、その中で学業成績はあまり振るわず優秀な学生ではありませんでした。が、男子校特有な自由な雰囲気の中で、多くの人と馴染むということが苦手な私でも、受け入れてくれる友達にも恵まれ楽しく過ごしていました。

部活動は父の影響でアウトドアが好きだったこともあり、ワンダーフォーゲル部(山岳部のようなものです)に中高6年間所属しました。そこでは主将も経験し、厳しい自然の中で部員全員の体力体調、装備、天気や時間にも気を配りながら、より高みを目指す。時には山行を断念して引き返す決断をする、など、ただ漠然と登山をするだけでなく、様々な要素の中での判断力、仲間との結束力、ちょっとしたリーダーシップを育めたと思います。


大学生時代

大学はもちろん歯科大学の歯学部に進学しました。父が歯科医師であったことが要因としては大きいですが、継承の為に勧められた、という訳ではありません。

手先も器用でメカなどに興味があった私は、工学部などへの進学も少し考えていました。しかし、ちょうど私が進路を考える頃、世間はまだリーマンショックの傷跡も瘉えぬ不景気を引きずっており、少し上の世代はロストジェネレーションなどと揶揄され就職氷河期にあえぐ、といった現実に直面していました。

そこで当時、高校生ながらに資格職、特に医療職は不景気でも人がいる限り仕事が無くなることはない、機械での自動化などもされにくい、と考え、さらに両親も医療職で理解もあり応援してくれている、(それに加えて当時の成績でなんとか滑り込めた)といった理由で父の母校である歯科大学へ進学しました。

そうです、進学の動機は自分本位な面が大きかったです。

しかし、実際に大学で歯科医学の奥深さに触れ、興味が湧き、持ち前ののめり込む性格も手伝って、それまで勉強に対しては不真面目だったのが嘘のように、自主的に学びの意欲が強まって行きました。

自分の中で転機となったのは、四年次の付属病院へ登院して行われる臨床実習でした。実際に患者さんとコミュニケーションを取ったり、触れさせていただいたことで、「医療行為は人の為にやるんだ」という実感と決意が芽生えました。

その後、やる気の出た私は自分なりにかなり勉強したと思います。その甲斐もあり、歯医者を減らしたい厚労省の策略で歯科医師国家試験は難化し合格者数も絞られたりしていますが、難なく卒業し、国試も通過することができました。

キャンパスライフでは、大学にもワンダーフォーゲル部があったので当然のように入部しました。加えて、山岳写真でカメラもやっていたので、写真部にも所属しました。一時は両方の主将・部長を兼任するなど幹部としてかなりハードワークでしたが、貴重な経験となりました。また、車も運転できるようになっていたので、仲間とレンタカーで日本中あちこちに足を伸ばしたりしていました。とても良い思い出です。

また、大学生活が6年間と長かったことあり、アルバイトでは、カフェの厨房、郵便局での仕分け、ショップ店員、塾講師などを経験しました。今となっては触れることのできない他業界のリアルを知れました。

研修医時代~現在

研修医時代は母校の歯科大学の付属病院に所属して過ごしました。といっても、ただずっと大学病院にいたのではなく、提携している一般開業医と地方総合病院でも臨床研修をしています。大学病院での臨床は学生時代にある程度は経験していましたが、歯科医師免許を取ってから見る高度な臨床は新たな学びがたくさんありました。

また、一般開業医や総合病院は全くの別世界で、症例も高次医療機関である大学病院とは当然違いますし、コスト意識もよりシビアになったりします。初めて本当の意味での歯科業界の良い所も悪い所も知れた転機であったと思います。(ちなみに、私も院長と同じく研修医優秀賞をいただきました。)

研修医終了後は、都内の医科大学附属病院の歯科口腔外科に就職しました。研修医の時の総合病院での経験もあり、歯科だけでは触れられない世界を知りたい気持ちもありましたし、薬剤師である母にも一度は大きい病院で働いてみるのもいいと言われたこともきっかけでした。

そこでは、歯科医師として外来での歯・口腔への処置もありましたが、それだけでなく、入院を伴うような大きな症例での病棟業務と全身管理、終末期医療、他科と連携した医療に携わりました。医師、薬剤師、看護師、などを始めとする多数の他医療職種と連携したり、事務職やソーシャルワーカーとの協議・調整、院外の地域医療機関や製薬会社、救急隊とのやりとりなど、歯科医院では到底遭遇することのない場面での経験を積むことができました。


代えがたい経験をできたのは確かですが、しかし、良いことばかりではありません。大学病院勤務は収入が安定しないということもあり、一般の歯科医院での非常勤も兼任していました。一方、大学病院では、病棟の処置番や救急外来を対応する為の当直日直などもあり休日はほぼ無く、何十日も連勤ということもよくありました。

このような過酷な状況は長続きせず、案の定体調を崩し、程なくして転職を決意しました。そうして辿り着いたのが、ここ、オーバルコート歯科室です。何かの巡り合わせか、院長と出身大学が同じということもあり、ほとんど拾ってもらうような格好でしたが、こちらで勤務をさせてもらうこととなり、現在に至ります。

妥協のない高品質な治療をすべく、日々診療に向き合い、研鑽しております。 オーバルコート歯科室に、皆様の笑顔創造に貢献できれば幸いです


略歴

日本歯科大学 生命歯学部 卒業

日本歯科大学付属病院 臨床研修歯科医 修了

東京医科大学病院 歯科口腔外科・矯正歯科 勤務

都内某所歯科医院 勤務

大崎オーバルコート歯科室 勤務開始

横山

ご挨拶

横山

こんにちは。オーバルコート歯科室で勤務医をしております横山と申します。

院長の「気持ちに寄り添う診療」に共感し入社いたしました。患者様の立場になり、患者様お一人お一人に合った治療を一緒に考えていきたいと思います。

少しでも歯科医院のネガティブなイメージを減らし、オーバルコート歯科室を選んで良かったと喜んでいただけるようにしていきます。



保育園時代

私は父親が国家公務員、母親が自宅で開業する歯科医という家の長女として生を受けた。ちなみに母親の母親、つまり私の祖母も歯科医という家庭だったので、一階の診療室で母親と祖母が働く姿を見て育った。

小さい子供が普通なら嫌がり、怖がるような歯科医院独特の消毒液の臭いや切削の音は私にとっては日常で、よく診療室に忍び込んでは母親やスタッフに見つかり、自宅である二階に連れ戻されていたそうだ。
いつしか私も自然と「夢は歯医者さん」と言っており、五歳の運動会で将来の夢の職業の格好を新聞紙で作成し、それを着て駆けっこする競技で白衣に見立てた新聞紙を身に纏いゴールを目指していた。

また、毎年歯科検診時に園医である祖母が来てくれることも幼いながらに誇らしかったのを今でも覚えている。

小さい頃の性格は人を笑わせるのが大好きな明るい子であった。弟二人が生まれるととても可愛がり、働く母親の代わりにおやつをあげたり、火はまだ禁止されていたのでさつま芋をアルミホイルで包みオーブンで焼き三人で食べたりした。


小学生時代

小学生にもなるとおてんばな性格は影を潜め姉気質が伸びていった。林間学校や委員会、行事には積極的に参加し班長や委員長、はたまた毎週行われる全校集会でお立ち台の上でラジオ体操をしていた時期もあった。様々な役をする上で達成感もあり、時には悩むことも多かった。

例えば、遠足での班長を任された時、自由時間の使い方で悩んだ。男女で行きたい所やりたい事が点でバラバラであった。限られた時間の中でいかに効率よく班員の満足するコースを練るため、それぞれの意見に耳を傾け、たとえ無理でも頭ごなしに否定するのではなく代替え案を提示したりした。大変な作業ではあったが、無事に終わった時は充実感と頼られる嬉しさを知った。


中・高校生

中高一貫校の女子高に進学した。この頃になると自分の将来について真剣に考えるようになる。

一階が診療室なので痛みで今にも泣きだしそうに駆け込んできた患者さんが、治療後には痛みがとれて笑顔で帰られる姿や母親の矯正治療により顔立ちがきれいになっていく患児の写真を見せてもらう度、何て素敵な職業なのかと夢を膨らませていた。その為、いつしか憧れから私の目標へとなった。

一方、部活はPC部に所属しており、そこでは経理を担っていた。主な活動は文化祭で来校された方や在校生の写真入りのカレンダーや名刺を作製したり、自主製作のパソコンを作ったり、団体や個人で簿記検定を受験したりしていた。部員同士も仲が良くアットホームな環境であった。


大学時代

歯学部という専門色の濃い学部で、人数も一般に比べれば少ない中様々な勉強、経験を積みながら学生生活を送った。特に印象的だったのが五年の夏季休暇中に行った中国北京大学口腔医学院への奨学海外研修である。

北京大学は中国屈指の総合大学で、全土から患者が集まる中国歯科医療の最高峰である。患者数、病院の規模等の桁違いのスケールの大きさに圧倒されたり、中国特有の医療制度の違いを目の当たりにした。だからこそ日本の皆保険の素晴らしさも実感した。 また交換留学だったので学生交流やお互いの観光地を案内することでさらに親睦は深まり、今も続いている。それぞれの文化の違いを知り認め合い、高め合えた大変貴重な経験であった。

まだまだ歯科医としては発展途上であるが、患者としてはもちろん対人としてその方の口腔だけにとどまらず生活の質をも向上させる医療を提供出来るよう真摯に向き合いたい。


略歴

明海大学歯学部 卒業

明海大学付属病院 臨床研修医 修了

都内某所歯科医院 勤務

大崎オーバルコート歯科室 勤務開始

八木

ご挨拶

八木

こんにちは。
オーバルコート歯科室で勤務医をしております八木と申します。

オーバルコート歯科室を選んでくださった患者様に感謝の気持ちを忘れず、多くの患者様が満足し、笑顔で帰っていただくことを心掛け診療しております。
自分のお口に不安がある方、歯科医院に通いたい気持ちはあるものの、今ひとつ足が遠のいている方、ぜひ悩みや不安をぶつけてください。
大崎オーバルコート歯科室を選んでよかったと思えるよう、尽力いたします。

また、患者様に安心かつ安全で適切な治療ができるよう日々最新の治療に対して、知識と技術の向上を目指してまいります。
その上で患者さまの価値観や意志を尊重したうえで納得のいく治療を提供いたします。


幼少期~青年期

私は山口県宇部市で八木家の長男として生まれ、育ちました。
長男といっても、三つ子であったため、時間としては他の2人と2分程しか違わず、長男としての自覚はあまりなかったように思います。
幼稚園、小学校、中学校、高校と3人とも同じ学校に通っていたため、比較される事が多く、当時は非常に大変だったことも多々ありましたが、今改めて考えるとお互いに切磋琢磨し、良い刺激を毎日受けることができたため、とても恵まれた環境だったと思います。

今では歯科医師として働かせていただいていますが、幼少の頃から歯に対しての意識が非常に低く、歯科医院にはとてもお世話になりました。
恥ずかしながら、高校を卒業するまでに、う蝕の処置を複数回受け、また大学時代には親知らずの抜歯も行い、一通りの歯科治療を自分自身でたくさん受けてきました。
そのため、歯科治療に対する痛みや恐怖は人一倍理解していると自負しております。

私は小学生や中学生の時に、学級委員長や学年代表など様々な事をやらせていただきました。しかしながら、自分自身が立候補していろいろやったというよりもむしろ、優秀な弟と同じ家族ということで先生に選ばれました。
人前に出ることが苦手で、人前で話す時は極度の緊張から寝られないこともたくさんありました。しかしながら、今となっては貴重な経験であり、たくさんの機会を与えてくださった先生方にはとても感謝しています。


高校~予備校時代

高校生では、将来についてしっかりと考えなければならない時期になり、医学の道に進みたいと考えるようになりました。
理由は三つ子で医師に昔からお世話になっていたことと、当時「救命病棟24時」というドラマが放送されており、それに憧れたからです。

とはいえ、勉強はあまり出来る方ではなかったため、案の定大学受験は失敗し、予備校に通うこととなりました。
予備校では、ゴールデンウィーク、年末年始に関わらず授業や試験が行われていたため、今までの自分の甘さを痛感し、価値観が大きく変わりました。

当時は非常に辛い毎日でしたが、今ではなくてはならない経験だったと思います。また、特に長所のなかった自分に、努力することに関しては誰にも負けないし、負けたくないという気持ちと、様々なことに興味を持つという2つの大切なことを身につけられたと思います。
浪人後の大学受験では、数点足りず医学部に入ることは叶いませんでしたが、広島大学歯学部に入学することとなりました。


大学時代

私自身、昔からあまり好きではなかった歯科の道に進むことは自分自身でも驚きであり、当時なかなか実感がわかなかった記憶があります。

大学に入学し、歯科について勉強すればするほど、自分の口の中があまりに危険であることを痛感し、日々暗い気持ちになりながら授業を受講していました。
しかし、これではいけないと思い、新幹線に乗りほぼ毎週のように隣町の有名な歯科医院の元へ行き、治療をしてもらいました。
今思うと、奨学金暮らしのお金のない生活の中でよくこんな行動をしたなと思います。

また、大学では様々なアルバイトをしておりましたが、中でも一番印象的なのが、今でも度々お世話になっている、すき焼きやしゃぶしゃぶのお店です。
アルバイトでは正しい接客や様々な知識をお店のスタッフやお客様からたくさん学ばせてもらいました。また貧乏学生の私にとって、仕事終わりのまかないはとてもうれしく贅沢なものでした。
今でも広島に帰ると初心を忘れないように必ず行かせてもらっています。


研修医時代

卒業後は都心でまずは、1人の歯科医師としてではなく、1人の医療従事者として日本最高峰の方々と仕事を通じて、たくさんのものを吸収したいという気持ちから、国立国際医療研究センターで研修を行いました。

入職直前にコロナウイルスが流行し、連日テレビで病院が取り上げられるのをみると、日々身の引き締まる思いで、入社式を迎えました。また、歯科医師の同期は2人しかいませんでしたが、医師の同期はたくさんおり、医学的な知識や物事のとらえ方や考え方など様々なことを日々学ぶことができ、よい刺激をたくさん受けることが出来ました。

また、研修は国立国際医療研究センターの特色である麻酔科、救急科での実習があり、全身疾患に関して身をもって学ばせていただきました。そして研修医にも関わらず、他分野の様々な企業の方々と一緒に、製品開発や、研究を行えたことはかけがえのない経験になりました。

今後は1人1人の患者様と歯科医療を通じてたくさんの笑顔を届けたいという思いから大崎オーバルコート歯科室に入職することとなりました。


略歴

広島大学 歯学部卒業

国立研究開発法人 国立国際医療研究センター病院 研修終了

大崎オーバルコート歯科室 勤務開始

医院概要

理事長
小林 伸
[ITI(International Team for Implantology)公認インプラントスペシャリスト/日本臨床歯周病学会 歯周病認定医/日本顎咬合学会 咬み合わせ認定医 他]
理事長のプロフィールはこちら≫
住所
〒141-0022 東京都品川区東五反田2-16-1 ザ・パークタワー1F
電話番号
03-5739-1625
最寄り駅
・JR「大崎」駅 徒歩4分 ・JR「五反田」駅より徒歩10分
休診日
日曜・祝日

診療時間
09:30~13:00
 14:30~19:00

土曜の診療時間は、午前は09:30~12:30、午後は14:00~16:30までとなります。


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